娘。」な話







2006年12月分
2006年12月31日『帰郷直前』
 こんばんは、sato(紅白楽しみだなぁ)です。

 うわわ、寝すぎた!



 追加募集分の年賀状も投函しました。これで今年は思い残すところはありません。

 それではまた来年!


2006年12月26日『Sweet Christmas 4』
 こんばんは、sato(昨日で31歳)です。

 僕の2006年を締めくくったのが”飯田圭織 Special Acoustic Live”。

 上出来すぎるくらい上出来でしょう。

 「ありふれた奇跡」「3日遅れのChristmas Card」「Papillon」と、僕の好きな3曲もしっかり聴けましたしね。



 アルバム買ってね。



 しかし飯田圭織という人は奥が深い。

 以前、大舞台で活躍していた頃は平然とこなしていたMCが何故か小さな舞台になると、言葉は悪いですが、グダグダになってしまうんです。

 モーニング娘。を卒業してから彼女の弱さってものが見えてきました。”モーニング娘。”というのは飯田さんにとってバックボーンではありますが、ソロライブでは後押しにはなりません。”飯田圭織”自身を出さなければいけない場です。グダグダってのもその人の魅力の一つ、と強引に言えないこともありませんが、小難しいことは考えずに思ったことをそのまま言葉にしたり、行動に移していってほしいな。



 私らしく生きればいいよ

 だけどそれが一番難しい 

 悩んでるときでも迷ってるときでも

 私であればいいね



 ずっと探している

 もっと輝く未来

 それは私の中にあるよね

 普通という奇跡が明日を創ってく

 (「ありふれた奇跡」より)




 僕は、表面にはあらわれないかもしれませんが、心の中では多分一生応援し続けるでしょうから、いつかそんな日が来るのを待っています。

 10年近く見てきてようやく飯田さんの人間性が垣間見えてきました。





 さて、10年といえばあれ、”モーニング娘。誕生10年記念隊”。

 ライブ中にもそれについて軽く語られました。僕が10年記念隊に期待することが一つあります。



 それは「うたばん」への出演です。

 安倍なつみ・飯田圭織・後藤真希、そして新垣里沙・久住小春。モーニング娘。の基礎を作ってきた3人に対し、現モーニング娘。の2人。新垣・久住にとって、この前者の3人はそうとうに手ごわい。そして、うたばんMC石橋・中居にとってはよだれが出そうなほどに好ましい相手でしょう。

 3人にばかり話を振りそうですが、



 一蹴してもらいたいですね。

 先輩とかそんなこと構わないで”今のモーニング娘。らしさ”ってのを見たいなぁ。





 なんてことをライブが終わって、弟の家に向かう都営三田線に乗りながら考えましたとさ。



---------------------

 年賀状も何とか描き終わり、昨日投函してきました。

 プリンタの調子が悪かったので多めにハガキを買っておいたんですが、特に問題なく刷れてしまいました。元旦には間に合わないかもしれませんが、もしまだ欲しいって方がいらしたらメールくださいな。

 それではー。


2006年12月20日『Sweet Christmas 3』
 こんばんは、sato(年賀状の下書きが描けた)です。

 YOMIKO GINZA CUBESはその名の通り、銀座にあります。



 と飯田さんに問われ、客席の雰囲気は「銀座らしいことって・・・?」といったものでした。

 16日の銀座は既にクリスマスイルミネーションに包まれ、中央通りには人が溢れていました。客席から「(クリスマス)ツリー見た!」の声が上がりますが、飯田さんは聞き取れなかったようで何度も聞きなおしていました。

 そんなクリスマス雰囲気の銀座で飯田さんがした”銀座らしい”こと。



 それは、”宝くじ(9000円分)を買ったこと”でした。



 銀座にはどうやらよく当たるとされる宝くじ売り場があるようで、車でホールに向かう途中に行列を見かけ買ったそうです。それが当日だったのか、下見のときだったのかは分かりませんが、彼女の中で「話のネタの一つにしよう!」という思いがあったのでしょう。些細なネタではありましたが、何か面白い話をしなくちゃ、という飯田さんの気概を感じました。

 上京して間もない頃に銀座に足を運んだことがあったそうです。15・16歳であった当時の飯田さんは銀座の持つ大人の雰囲気に負けて撤退したとか。





 当たってくれーーーーーーーーーー!!

 (1万円くらいだったら自分のために使う、ってさりげなく言ってたな。)













 僕のが当たったら飯田さん呼ぶから。

 初めて宝くじ買った。



 続く。


2006年12月19日『Sweet Christmas 2』
 こんばんは、sato(話は多少前後してます)です。

 飯田さんはどうやらWiiを買ったようでした。

 そして矢口も買ったらしく、やりすぎでお互い筋肉痛になってしまったとか言っていましたね。

 しかし、



 飯田さんの中では、Wii=Wiiリモコンのようでした。

 まさか飯田さん・・・本体は持ってなくてリモコンだけ振り回してるんじゃ。あり得そうだから怖い。



 この日僕は弟の家に泊まったんですが、Wiiがありました。あー奇跡。

 うん、そだよね。面白いよね、Wiiリモコン。



 続く。


2006年12月18日『Sweet Christmas』
 こんばんは、sato(記憶違いがあったりなかったり)です。

 YOMIKO GINZA CUBES

 9階 ”YOMIKOホール”

 会場、という表現では言い表せてないでしょう。ビルのワンフロアを貸しきって仕切りをしただけ、というのが近いことかと。

 カジュアルディナーショーが行なわれるラ・クロシェットの厨房を足したくらいの大きさ(2005年10月あたりのログ参照)。広いとは言えません。僕の第一印象は「狭っ」でしたから。

 座席は、横が12番まであって縦15列だったと思います。後ろのほうが一席二席くらい少なかったかもしれませんが、最大でも180人。幾らなんでもそりゃ落選する人も多いわ。

 フラットな床に椅子が並べてありました。



  --------------------

 時間は10分ほど押していたでしょうか。

 クリスマスらしいBGMの音が小さくなり、あぁ懐かしい、いかにも「これから始まります」という雰囲気。

 後方の扉から演奏者の2人(ピアノ・バイオリン)が照明の落ちたまま入場し、前方の少しばかり段のあるステージに上がりました。



 照明が付いて飯田さん登場。

 客席の間を通ってステージへ。







 なんだかなぁ。

 僕がグダグダしている間もこの人は綺麗なままだったんだなぁ、と。



 続く。


2006年12月15日『2/2』
 こんばんは、sato(今日は早く寝るかな)です。

 「2006年はハロプロのコンサートには行かない」

 そう決断して2006年も半分が過ぎ、8月を過ぎた頃に体調を壊しました。土日にやることがなくなり、かと言ってどこかに出かける気分でもなく家に引きこもっていました。家でゴロゴロしているとどうにも食欲がなく、一日一食、下手したら飲み物だけ。パソコンの前にほとんど座っていたと思います。タバコの消費量だけが増えていきました。

 元々腰痛持ちなんですが、パソコンの前に座り続けていると腰が痛くなってきました。そして僕は腰が痛くなり始めると胃まで痛くなってくるという嫌な体質なのです。「まぁ、いつものことだ」と高を括っていてんですが、夏を過ぎた頃にやってきたソレは厄介なものでした。食欲はなく、胃も痛い、でも食べないとさらに悪い方へと進むだろうから食べる。こんな状況で食べる食事なんておいしくないですよね。

 調子がおかしくなってから4ヶ月経ち、大分良くはなってきましたが完璧には程遠い状態です。満腹感、というものは感じたことがありません。胃が張って痛い、そんな感じです。

 仕事のある平日はまだ気がまぎれるのですが、週末になると体を壊す。そんな日々を送っていました。

 廃人になりかけていました。



 そんなギリギリの状態で僕の元に飛び込んできたニュース。

 それは”飯田圭織 Special Acoustic Live〜Sweet Christmas〜”のFC先行受付。

 12月16日ですがクリスマスと銘打ってある、クリスマスは僕の誕生日、公演は1回だけ。

 この1年の決断を覆すに十分な破壊力がありました。体調を崩したのはコンサートに、ライブに行ってないからだ。そんな声が僕の中から聞こえてきていました。

 「これを逃がしたらもう終わりなのかもしれない」

 しかし、僕のFC期限はとっくの昔に切れていました。



 FC先行受付の〆切前日に僕はに頼みました。先立って料金を郵便局で振込まなければいけなく、彼にはその時間はなさそうでした。「とりあえず枠を貸してあげるからさ」。それは僕にとって神の一声でした。(久し振りすぎて”枠を借りる”という発想が欠如していました。)

 翌日、僕は仕事前に京都中央郵便局へ行き、代金を振り込みました。当選する保証はもちろんありません。



 会場はYOMIKOホールという収容人数不明な怪しげなホール。「ダメかもしんない」ってのが僕の中で大勢を占めてきていました。

 当落が決まる日。仕事帰りに携帯で当落状況をあさっていると「落選した・・・orz」と不吉な日記を見かけたり・・・。当落の結果は僕のところではなく、ファンクラブに登録した住所に来ることになっていました。家に帰り、パソコンのメールをチェックすると・・・













 体調は大分良くはなってきましたが完璧には程遠い状態、と先に書きました。良くなってきたのは申し込んだ日くらいからなのです。申し込んで当落にドキドキする。これって体に良いことなんですね、実感しました。

 体調的にも精神的にも大逆転がやってきました。精神的にもまいっていたのです。今年のこれまでの僕は、例えば、ハローの誰かが目の前にいても「頑張ってください」の一声すら掛けることが出来なかったでしょう。ハローに対する興味を失ってしまったと言うわけではありません。頑張れていない僕が頑張ってくださいなんて言えない、そんなところです。



 時を同じくして、光井愛佳がモーニング娘。に加入しました。彼女を見て「頑張れ」と思えたのです。自分に心境の変化が訪れていることに気付きました。昔、僕が持っていたモーニング娘。の、ハロー!プロジェクトの楽しみ方を思い出したような気もしました。

 面白くて、カッコ悪いことをしているのにカッコいい。そんな連中が日々成長していく姿を見守る。

 この気持ちを持てるようになっただけでも今の僕には十分です。何しろ僕は当選したカントリー娘。のパシイベを蹴るくらい堕ちていましたから。お金も振り込まず、アップフロントからの再三の電話も無視。いや、ひどいですね。



 昨日・今日と書いてきたことは本来なら年を越すギリギリに書くようなことなんですが、ライブに行く前に書かなければと思い、拙い文章ですが書いてみました。メールで誘ってくれた方に対してのいい訳めいたものですが、これを書かないと僕は動けない。



 さてそれでは、



 ”面白かっこいい連中”の先駆者・飯田圭織を見に行ってきます。

 ----------------------

 「精神的にまいっていた」と書きましたが、”異常者”になったわけではありませんよ。



 いやマジで。


2006年12月14日『1/2』
 こんばんは、sato(絵ないです)です。

 すみませんでした。

-------------------



 「2006年はハロプロのコンサートには行かない」



 そう決めて今年はスタートしました。理由は実にくだらないものなので敢えてここには書きません。いや、どこにも書く気はありませんが。

 行ったコンサートといえば氣志團だけ。ハローとの違いをまざまざと見せつけられ、非常に勉強になりました。2月くらいのことでしたが、唯一のコンサート参戦だったのでいまだによく覚えています。



 行こうと思えば行けました。

 大阪の会場ならどこでも大抵1時間もあれば着けますしね。

 行きたいとも思いました。

 「みんなは”糞席”とかよく言うけど、これほどの糞席はないよな」と家で一人煩悶していました。



 そんな中、大阪でハロプロ関連のイベントやらコンサートがある度に、とまでは言いませんが、何度かお誘いのメールなどを頂きました。



 結果として、僕は一切返事をしていません。



 人との繋がりの大切さってのは、僕の中途半端な人生でも、学んできたつもりです。しかし、僕は”行かない”と決断しました。”行こう”と思ってメールをくれた方に応じる言葉が、心が持てなかったのです。

 悩んだ末に出た答えは・・・先に書いたとおりです。いや、答えが出なかったんですね。メールをくれた方にしてみれば無視ですから・・・すでにこのサイトも見てくれていないかもしれません。でも謝らせてください。



 すみませんでした。



-------------------

 つづく。


2006年12月12日『光井愛佳』
 こんばんは、sato(辞書登録完了)です。

 とりあえずこんな感じで(変動あり)。



 光井が滋賀のどのあたりに住んでいるかで福井も近いんですけどね。喋り方からして京都に少し田舎を足した感じなので琵琶湖より南、京都寄り(適当)。

--------------------

 えーと、年賀状は・・・25日までに出せば良いんだよねそうだよね間に合うよね、ね。


2006年12月10日『奇跡の大逆転』
 こんばんは、sato(どうしてこうも体調が悪いのか)です。



 ネタバレ 8期オーディション合格者に触れてます。



--------------------

 来た。

 間違いなく来たっ!



 大 逆 転 その1



 携帯が直った!

 週末を前にしてメールの文字化けが直り、カバンの中でブルブルしだした。これで機種変更しなくて済んだ。意味が分からないけども、奇跡が始まりつつあるのは間違いない。





 大 逆 転 その2



 詳 し く は ま だ 書 け な い 、 待 て 後 日 。



 いやーん、マジ来たわ大逆転。うふー。

















 大 逆 転 その3



 血尿が出たよ!

 やわっほーい!どれだけトイレ広いんだよ!御坊家か!

















 大 逆 転 その4



 どんな気分なんだろう。



 8期オーディション合格者・光井愛佳。

 奈良モニは9日ほど放送が遅れているんですが、ごにょごにょしたおかげで何とかリアルタイムでハロモニを見ることが出来ました。

 「合格者は1人」とつんく♂が言ったとき、この6人の中で1人だけ!?”1人”となると僕の中では接戦でした。

 これは予想外。逆転劇はまだこれからだ。

 明日はびわ湖ホールから琵琶湖を見下ろして酒でも飲むか。

---------------------



 僕は吉川友と花田奈都美の2人が合格と読んでいたんですが、見事に外れました。吉川×花田のカップリングが後々熱くなりそうに思えたんですけどねぇ。いつもは淡々と傍観しているだけなのに、慣れないことはするもんじゃない、か。



 吉川友。合宿で見せた涙は何か懐かしいものを僕に思い起こさせてくれました。ダンスはかなり難がありましたが、4期オーディションなら間違いなく合格だった子だったと思います。最終審査まで残すくらいならいっそのこと2次くらいで落として秘密兵器として温存しておいて欲しかったところです。

 花田奈都美。先に書いたカップリングの片割れ。吉川を宮本武蔵とするなら花田は佐々木小次郎といったところでしょうか。そんなイメージを持って僕は見ていました。レコーディング審査がなぁ・・・もうちょっとチャンスをものにして欲しかった・・・。

 増田絢美。惜しい。辞退してしまったのでこれ以上は特に言葉もありません。惜しい。

 佐藤すみれは微妙でした。いかにもレッスンを受けてきました的な笑顔が僕の心の琴線を震わすことはなかったのです。応援してた方には申し訳ない。しかし、高いプロ意識を持っていたのは彼女でしょう。それは現在のモーニング娘。に加入するには必須のモノ、遊び意識が高いと心が折れてしまうんじゃないでしょうか。現メンバーは何だかんだで強い精神力を持ってると僕は思ってますんで。

 奥村陽。日本舞踊暦14年ということでその立ち振る舞いはダントツだったはずですが、いかんせん余計な情報を仕入れてしまったので冷静な判断が出来ませんでした。



 光井愛佳。これから先を見ていかなければ・・・今の時点での評価は無意味と判断。



 人を選ぶ、って何とも難しく、辛いものですね。

 選ばれた人間にも、そうではなかった人間にも幸あれ。



 「アジア」

 え、えー・・・それはちょっと。


2006年12月7日『愛すクリ〜ムとMyプリン2』
 こんばんは、sato(続いたりして)です。


















 裏に黒幕がいるネタが好きだなぁ。

-----------------------

 今日は風邪で会社休みました。

 昨日の朝から調子が悪かったんです。最初はお腹をくだしていただけだったんですが、いつもと違う胃痛が。んで、体の節々が徐々に痛くなってきて、と嬲られるように悪化。結局帰る頃には38度くらい熱があったような。

 今日一日中寝ていたのでかなり回復しました。風邪は早めに引いておいたほうが良いですよね。

 2006年もあとわずか。

 僕にとってどうやら明日辺りが今年最大の勝負の日のようですし(謎。


2006年12月5日『愛すクリ〜ムとMyプリン』
 こんばんは、sato(マルチビタミン飲みまくり)です。









 小春は着ちゃだめだよ。


2006年12月4日『猫はこたつで丸くなる』
 こんばんは、sato(また胃が。そろそろ寿命か。)です。





 れいなは寒がりであって欲しい。

---------------------

 洗濯してしまった携帯。

 バッテリーが外れていたので、乾かして今日電源を入れてみました。見事復活と思いきや、メールだけが文字化けするようになってしまいました。あとバイブ機能もお亡くなりになってました。結局機種変更か・・・。

 おかしいなぁ。12月は大逆転の月のはずなのに。




トップに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送