娘。」な話







2007年1月分
2007年1月29日『まさかの出来事』
 こんばんは、sato(200万もするの!?)です。

















 小川もびっくり。



 よもやステージ上に登場とは。この展開読めた人間いないよね。しかし、紺野さん推しの人は優遇されてるよなぁ。調子に乗ってしまうのはあまり良いことではないので・・・。





 紺野さんの夢ってお嫁さんだよ、きっと!!





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『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』(テレビ朝日系)



 うれしくて涙が出そうでした。

 僕が初めて見たハロプロユニットってT&Cボンバー(旧大洋ホエールズ、もとい太陽とシスコムーン)なんですよ。淡路花博でのイベントだから2000年かな。感慨深いものがあります。

 いやー、もう29歳ですって!近づく三十路の恐怖と戦っているんでしょうか。きっと稲葉さんあたりに電話で「ヤバい。どうしよう貴ちゃん。」とか言ってる。



 小湊さんはブログをやっていて、それを見て僕はヘラヘラしているわけです。CDチェンジャーに頭突きして壊す29歳ドジっ娘に萌えなわけです(何だ。

 絵にも描きましたが、現在は弟の昭尚さんと2人でPriestというユニットで歌を続けていますね。2月17日には東京でライブがあるようです。関東に住んでる方がうらやましい。誰か行ってレポートして!これマジなお願い。

 僕はミニアルバム「まほらの月」を買うとするか。関西でライブを開催してくれたら誰か一緒に行こうよ。



 「そういや、淡路花博のことは以前”コンサート心得”ってコンテンツに書いたなぁ」と思って探してみるとありました。読み返してみると・・・、なんか恥ずかしいなぁ。コンサートのコの字も知らない頃のものですから。ホント笑っちゃいます。当時の僕から見て”凄い奴ら”ってのも、今の僕から見たらもはや普通の人たちになっちゃってます。

 20mくらい、近い!、とか書いてるけど結構遠いよ、それ(笑。



 コンサート心得復活させようかなぁ。しないよ。

 以下抜粋。





↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

・「T&Cボンバー淡路島花博特別ステージ」編

 ネットで知り合った方(Aさん、とする)と一緒に行ってみる。コンサートどころかこういうイベント事はジャッキーチェンの舞台挨拶(確か「プロジェクトイーグル」)・宮崎駿の舞台挨拶(「おもひでぽろぽろ」。高畑監督だったはずだが一緒に来ていた。駿と握手した!!かなり嬉しかった)くらい。初めて会うAさんと一緒なのでドキドキもしていた。

 整理券を貰うために朝早くから淡路島へGO!整理券は1000枚くらいしかないと踏んでいた。と言うか、これ以前に淡路島に行っていたため大体の広さは分かっていたし、小さな番号を貰わないとまずい!結局100番台かそこらをゲット(*1)。

 イベント開始まで3時間程待つ。その間にAさんから色々貰う。コンサートの音源(おい!)やらトレカやら。僕も何かあげたはずだけど忘れた。

 整理券を持って並んでいると、あきらかに「その手」の連中が僕らの前に並んでいるではないか。20人くらいの団体だ。お目当てはdreamかと思っていたし、実際にdreamのライブでは踊り唄い飛び跳ねていた。dreamのライブ(MCが全然イケてなかった)が終わるとそそくさと帰る準備してるし。「おいおい、まだT&Cボンバーが残ってるよ!?」と言いたくなったが、その一つ後列に並んでた連中が「お疲れ」と言わんばかりのハイタッチをし、入れ替わったのだ。そう、dreamチームとT&Cボンバーチームの素晴らしき連携を目の当たりにすることになったのだ。

 dreamとは違い、慣れたMCで進行していくT&Cボンバー!客席が階段状になっているのでめちゃくちゃ良く見える!!ひぇ〜、稲葉が小さい、メチャクチャ細い、可愛い、動きがキレてるっ!をぉっ、姫(信田)のバク転だ、皆をスタンディングさせて体操だ!小湊の民謡だ!Ruruの・・・何かしてたっけ?

 とにかくかなりの満足度!しかし、気になったのが当時の新曲「HEY!真昼の蜃気楼」はまだ未発表だったにも関わらず、例のT&Cボンバーチームは完璧に踊りこなしていたこと。いんや、すんげぇすんげぇ(*2)。

『得られた教訓』
 *1 小さなイベントはかなり良いポジションが取れる。
 *2 凄い奴らがいる。

2007年1月28日『COUNTRY ROAD』
 こんばんは、sato(ちょこちょこ時期が間違ってるかと)です。

 ”アイドルを探せ!”

 僕が「あぁ、モーニング娘。っていいなぁ」とか思い始めたころに始まった番組。ガレージ、ってのも同時に放送してましたね。僕が当時住んでいた地域では深夜放送で、チェック体制の整っていなかった僕がこの番組の存在に気が付いたのは今思えば奇跡的なことです。

 この番組でカントリー娘。が誕生したわけなんですが、当時モーニング娘。・平家みちよにしか興味のなかった僕は録画したものをわざわざ編集してオーディション風景とかカットしてやがります。うああ。(ちなみにメロン記念日関連も見事カット。)

 カントリー娘。のメンバー変遷はモーニング娘。に勝るとも劣らない。その変遷の内には不幸なこともありましたが、番組内で一人で奮闘するりんねに心を動かされましたね。

 初代MCであった中澤裕子・平家みちよから2代目MCりんね・飯田圭織へ。この頃のモーニング娘。は多忙を極めていて、番組ロケはほとんどりんね一人でこなしていました。2代目MCスタートから少したってあさみが加入しました。



 あさみは加入当時、とんでもない田舎娘で「えええっ、この子を!?」と思ったのが正直なところです。

 しかし、番組内でのロケをあさみも手伝うようになるとそんな評価はどこ吹く風。あさみが持つ楽しそうな雰囲気ってのは番組を明るくしていたかと思います。りんね×あさみのカップリングってのは相当に面白かったですね。

 ゲームショウ(?)ロケでの対決とか、罰ゲームでりんねが階段で10階くらいにあるレストランまで上がってその間にあさみは豪華な食事をしているとか。階段で上がってきたりんねに用意されていたのは質素な食事。長いこと続いていた”アイドルを探せ!”の中でもその面白さは印象に残っています。

 その後は、石川さんが参加してメジャーデビュー。里田加入、りんね脱退、みうな加入、紺野に藤本、と続くわけです。しかし僕は里田加入あたりからカントリーの変遷に疎いのです。いつごろだったのか、とかはっきりと思い出せません。「あれ?いつの間に?」とかそんな感じ。申し訳。りんねが辞めた時にかなりの衝撃を受けたことは覚えていますが。



 カントリー娘。は”半農半芸”をコンセプトとしていましたが、メジャーデビュー後それは薄まり、北海道を拠点としていたものも東京へ進出、と一部のファンの間では不評でしたね。かくいう僕もそんな感じでした。カントリー娘。特有の、今で言うスローライフ的なものが好きだったんですけどね。ハロモニでモーニング娘。が花畑牧場に行ったのとか面白かったなぁ。

 とは言え、みうなの加入一発目”浮気なハニーパイ”は楽曲・ジャケット・PV、全て非常に好きな一曲です。ハニーパイのお気に入りシーンを描け、と言われたら一週間くらいかかりそう。ちょっとばかりテニスが好きってのもあるんですが。



 みうなが持つ爽やかさとか高い透明度といった雰囲気にピッタリの一曲だったのではないでしょうか。





 僕の中の”ハロプロの基盤”ってものが一部削り取られてしまう。つらい、というか寂しい、か。



 2006年1月28日 

 あさみ みうな 

 カントリー娘。卒業



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 里田の出演した”ヘキサゴンII”は全部見てます。



 普段はほとんど見てませんが、ヘキサゴンIIは大沢あかねの独壇場だと思ってました。そこに入り込み、そして上回ったと言っても過言ではありません。おバカ解答連発ですが、真剣なところがいい。

 他番組の出演はまだまだ少ないですが、がんばれ里田まい。その道はこれまでのハロプロでも拓けなかった道。気合入れろ。





 勉強はしなくていいよ!


2007年1月25日『どうもこうもないっすよ』
 こんばんは、sato(まっすぐ!)です。





 そりゃないっすよミキティー。


2007年1月23日『MC GAKI/愛×あなた≧好き』
 こんばんは、sato(深夜のミッドナイトラブレター)です。

「GAKIさん、いつも楽しく聴いています。とっても素敵な声ですね。」



「さて突然なんですが、去年のクリスマス時期。素敵な彼氏とよくデートをしていたのですが仲が良かった分、よくケンカもしました。

 いつものよく行く喫茶店で、原因も忘れちゃったくらい些細なことで始めちゃった口ゲンカ。途中で彼が怒って出ていっちゃったのです。たぶん私が甘えすぎたのかな。

 で、そのときお店のラジオで掛かっていた曲が私の心にグサッとささって涙が止まりませんでした。

 今日はその曲が聴きたくてリクエストしました。」



「と言っても曲名が分からず困っています。歌詞の内容は”雪を愛で割って、彼をかけたら好きよりも上”みたいなそんな歌詞だったと思います。

 わがままリクエストに答えてください!!」



 えー。


2007年1月22日『シャイニーG2』
 こんばんは、sato(続いたり)です。































 一部の人間が分かってくれればそれでいい。


2007年1月21日『シャイニーG』
 こんばんは、sato(イラストレイターの使い方が分かった!)です。





 あれ、前にも描いたような。それはきっと既視感。

 Gガンが見たくなってきた今日この頃。


2007年1月14日『無題』
 satoです。



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 先日の更新で不快感を持たせてしまい申し訳ありません。

 人の死を冒涜するする気はありません。が、例えば知人や知人の家族に不幸があったとして、それが交通事故など突発的な原因であれば、僕は当人に対して「ばかやろう」と呟くことだと思います。家族を悲しませやがって。あとちょっと、あとちょっとだけゆっくり行動していれば。そこに冒涜の意図はありません。

 以前勤めていた会社で同僚の一人を見送ったことがあります。長い闘病生活の結果でした。そのときは「お疲れさま」。その言葉しか出てきませんでした。

 「ご冥福をお祈りいたします」

 と言えば、社会人としては正しいのでしょうが、この言葉を発しさえすれば良いとは思いません。

 例えば、僕が事故で亡くなったりしてそう言われても困ります。返事が出来ないじゃないですか。むしろ「何で死んだんだ。ばかやろう。」と怒ってほしい。ご冥福を祈るなんて言葉を家族や知人に言われたいものでしょうか、志半ばで逝った人間が。天国か地獄か分かりませんがそれこそ僕なら泣きます。もちろん、僕は吉澤とは何の血縁関係にもありませんし、知人というわけでもありません。ですが、彼女の身内の死を他人事のように考えることは出来ませんでした。だから出た言葉、それが先日の更新内容です。

 しかし、半ば批判されることもあるだろうと予想していました。言葉足らずであることも分かっていたんですけどね。申し訳ありません。


2007年1月13日『無題』
 satoです。

 正月は実家に帰っていて、ハロプロの情報を知ることが出来なかった。



 奈良に戻ってきてパソコンの電源をつけて1分後、吉澤の卒業を知り肩を落とした。



 大晦日、実家ではK−1だか何だかを見ていて紅白を見ることが出来なかった。予約録画をしていたので奈良に戻ってから紅白を見て一枚描いた。娘。で一番初めにまともにカメラに映ったのは、吉澤と藤本だった。吉澤のあまりの美人ぶりに腰が抜けた。

 その後も娘。の出番は多々あったし、他のハロプロメンバーが出演している番組もあった。が、この一枚を描いたところでその気力を保てず、今日に至る。

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 ここ何年かのモーニング娘。からの卒業ってのはおめでたい雰囲気がある。

 それは終わりではなく、新たなスタート地点であるというような認識が強くなったのだろう。ファン側が卒業前からこの認識を持つようになったのは大きい。卒業する当人は、当然それは持っているはずだ。



 吉澤は卒業までに今の自分を出し切ろうと思っていただろう。卒業後の自分の活動に意欲を燃やしていたであろう。僕が理解している吉澤ひとみはそんな人だ。

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 死についてここで書くことになるとは思わなかった。

 死は不幸だ。どう考えたって不幸だ。天寿を全うする以外の死は不幸だ。そんな死は少ない。天寿を全うしたからといって幸せとも限らない。だから、人の死に対して僕はうなだれることしか出来ない。

 身内を亡くし、残された家族にかける言葉を僕は持たない。故人を知らなければなおさらだ。僕の中から言葉が出ないから「ご冥福をお祈りいたします」と言うしかない。

 死は不幸なことでそれは心に傷を残す。僕は時間を掛けて癒すことしか知らない。結局は自分の心の治癒能力に頼るしかないと思うからだ。だが・・・

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 今の吉澤は心が折れていることだろう。

 しかし、彼女は5月まで現役のモーニング娘。であり、もちろんそれ以降の活動だってある。明日、大阪でコンサートがあるが、悲しむ時間くらい作ってあげて欲しい。それを吉澤本人が断るのならそれでいい。なんにしろ彼女の思うとおりにしてあげてほしいと思う。

 僕は吉澤に掛ける言葉を持てないが、こういうとき近くにいる人間の支えってのは大きいのだろう。不幸中の幸いって言葉は何の慰めにもならないかもしれないが、モーニング娘。の結束ってものがあるだろう。仕事の上でなくともそういうものがあるはずだ。年が近く、物事をはっきり言う藤本がいて良かったと今僕は思っている。





 最後に吉澤の弟さんへ。

 あんたは最高に幸せ者で、最高に親不孝者で、最高に姉不幸者だ。ばかやろう。




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